いずれきちんと書きたいと思いますが、覚書として。
南大沢TOHOシネマズにてライブビューイング鑑賞。
・構成
正直なところ、序盤のほうのアニメ(アイコンのキャラクターがしゃべるもの)は、いまいちかなー、と思いながら観ていた。あのアイコンが、実は3Dで作ってあってかなり動いているのはむちゃくちゃかわいいけど、ドラマCDのノリをアニメ本編を模した感動的なライブの場でやられても、という。
でも、二本目のほうで、強引ながらも沼津と新横浜の接点を見つけ、地方の女の子たちがまた違う地方にやってくることで発見される面白さ、いわば寅さんが全国各地を舞台に毎年作られていたことの意味みたいなものが最後の最後に急速に立ち上がっていて、あっ、やっぱいいですこれ、すごくいいです、という気持ちになった。
・アニメ本編との接続
アニメ本編をキャストたちが演じ直す、という演出は、予測されたものではあったけれど、よかった。
個人的に、強く強くこだわりのあった13話の地区予選のパートが、真正面から演じ直されているあいだ、ぼくは打ちのめされて座席から立てなかった。
それは「アニメが現実に再現されている」ということから生じる喜びでもあったのだけれど、それだけじゃなかった。酒井和男監督がTwitterで、あの演出によってようやく13話が完成したとおっしゃっていて、それは確かにそうだしもう監督大好きだ、と思ったんだけど、いやそもそも13話はきちんと完成していたんだよ、そのうえで今日演じ直されたことでまた新しいものが生じたんだよ、と思う。
ぼくは13話の寸劇のパートには、人が何かを演じることの尊さみたいなものが込められていると思う。Aqoursはμ'sのあとを追いかけて、μ's的なスクールアイドルを演じている。そのAqoursを、声優さんたちが演じている。劇中で、Aqoursはふつうの浦の星の生徒たちに一緒に輝こうと呼びかける。
人はなぜ演じるか。いま・ここ・わたしでないなにものかになるためだ。そういう人間のもつ欲というか、希望というか、そういうものが、アニメと現実とがクロスすることで前面にわきあがる、それが13話のあのシーンの価値のひとつなんだとぼくはおもう。
今日のライブで、Aqoursが演じたことを、ふたたびまたAqoursが演じ直したこと。そしてなにより、その、演じる人々が、確かに演じた対象になっていた(演じきれていた)こと。ファーストシングルの発売イベントで、伊波杏樹はただ一人その「演じきること」のとっかかりまで至れていたとおもう。今日は九人全員が、演じきっていた。
最終的には、演じられる対象と演じる主体が溶け合って、ただ、たしかにそこに、Aqoursがいる、としか言いようのない空間があった。
あの演出をもって、じゃあ13話はこのためだけの踏み台なのかよ、という批判もありそうな気がする。でもそういうことじゃないんだ、とあらかじめ言いたい。繰り返しになるけれど、13話は、アニメは、それ単体できちんと完結していたと思っている。だから、欠けたものが埋められたというよりは、また新しいものが生み出された、という文脈で評価したいです。
・衣装について
意外にも、もっとも美しいと思ったのは『夢で夜空を照らしたい』の衣装だった。演出もふくめ、ただただ美しかった。
肉体的に美しいと思ったのは(とか書くとずいぶんいやらしい文章にみえるが)小宮有紗さんだった。AZALEAの肩出しとか、各衣装の生足とか、あれ、いかん、いかんよそれは、とか思っていた。ほんとむり、美しすぎた。
あと、ユニット曲あたりまでの、ブーツがなんだかひどくかわいかった。いや、けっこうシンプルな、黒のブーツだったと思うんだけど、サイズ感がすごくよかった。あんまり甘すぎない感じも。
・パフォーマンスについて
全員がうまくなっていた。というかまだまだ余裕だったんじゃないすか。確実にみなさん成長されていて、ああ、努力ってすげえなあ、と思った。
びっくりしたのは、ダンス非経験組で、とくにCYaRon!において、あまり身体を動かせるイメージのない降幡さんが、ダンス&演劇の猛者であるふたりに挟まれながらもいい動きをみせていたさまが印象に残った。
とはいえ全員が軒並み底上げされているので、斎藤朱夏さんは身体のキレとかは当然として感情を伝えてくるほうに力点がおかれていて、『夜空はなんでも知ってるの』の、センターステージで一人舞う姿は、ぜんぜん別作品で恐縮ですけども、『蒼き鋼のアルペジオ』キャラソン『Word』を歌い踊る山村響さんを思い出してしまった。まさか斉藤さんにあんな方向で感動させられるとは。ダンスってすばらしいなあと改めて思った。ほんと恐ろしい子。
・まとめ
シングルCDから一年経たずにテレビアニメが放送。最初のライブが横浜アリーナ。ぜんぜん「ゼロ」じゃないじゃん、というつっこみには一理ある。あるのだけど、今日ぼくは、そのようなAqoursであっても絶対にゼロにならざるをえない瞬間があるのだ、と思い知らされた。それは、アニメ本編がうつしだされるなか、そのなかに一瞬でもμ'sの姿が含まれたときに客席から圧倒的な感想が巻き起こる瞬間だ。完全になにもないゼロというよりは、プラスにして積み上げたものが、まだまだ先駆者からみれば相対的にごくごく小さいのだ、と突きつけられてしまう意味での、ゼロ。
Aqoursはどんどん成長し、新しい情景を見せてくれる。見せてくれるのだけれども、やっぱり原点にすさまじく重いものを背負っていること、確かに彼女たちは「ゼロ」から始めているのだ、ということをぼくは忘れないでいたい。Aqoursは決して恵まれてなんかいない。AqoursにはAqoursの大変さがあるのだ。
というようなことを感じたうえで、最終的には、むっちゃくちゃ楽しいライブでした。0から1へ進まなきゃいけない、という厳しい状況を、朗らかに歌う『Step! Zero to One』という曲の価値をあらためて強く感じる。
そう、輝くことは楽しむこと。
歌に踊りに涙に笑いに、全部ぜんぶひっくるめて、それらすべてのプリミティブな楽しさの詰まった3時間半でした。最高。