すさまじい映画だ。
心身ともにぐったりするくらい、重い問いを投げかけてくる。なのに、おもしろい。
ナレーション、テロップ、BGMは一切なしで、ある精神科診療所の情景が二時間強映し出される。監督は『選挙』で知られる想田和弘。宇多丸師匠のウィークエンド・シャッフルに登場するというので、札幌でちょうど期間限定公開されたこともあり、慌てて観てきた。
まずは、むき出しで提示される患者たちの現実に衝撃を受ける。老いた親に頼り、生活保護でぎりぎり維持される生活。自分には生きていく価値はないと嗚咽する人もいれば、仲間たちと明るくはしゃぐ人もいる。大量に処方される薬*1。職員たちは、診療所の台所事情を憂いながらも、忙しく立ち働く。
患者の個人的な背景だけでなく、社会保険事務所との書類のやり取りや、薬の量・種類などといった、医療にまつわるディテールも細かく描かれる。この映画の土台には、「社会科見学」的ドキュメンタリーとしての面白さがある。さらには小泉改革への言及もなされ、社会的・政治的なメッセージを引き出せるくらいに、その現場報告ぶりは充実している。そんじょそこらの報道テレビ番組より、情報量はよほど多そうだ。
しかしこの映画は、世直し的メッセージを与えるだけに留まってはいない。いや、そうしたメッセージを引き出すことはできるのだが、おそらく多くの観客は、映画が喉もとにつきつける恐るべき問いに圧倒されて、そうした行為にふけっている余裕などなくしてしまうだろう *2。
つぎつぎに登場する患者たちは、その一面だけをとらえられて終わることは決してない。穏やかな人だな、と思っていると、直後、エキセントリックな妄想を語る姿が映し出される。とくに終盤の構成は白眉で、ほのぼのしたシーンで観客の心を落ち着かせたかと思うと、この映画のなかでも最大級に緊張感のある部分をつなぎ、さらには登場人物たちの決して安らかでないその後を思い知らせる、史上最大級にショッキングなアメグラ・エンディングが訪れる。この映画は、観客が一つの考え方に着地してしまうことを、徹底的に妨害してくるのだ。
しぜん観客は、映画を観ている最中も、見終わったあとも、患者たちのことを考え続けなければなくなる。彼らの姿があまりに魅力的で、いっぽうあまりに――誤解を招く表現かもしれないが――恐ろしいゆえに、頭から離れなくなる。
彼らと自分は何が違うというのか?
自分は彼らを排除することなく、ともに生きることができるだろうか?
自分の持っていた常識に問いをつきつけられ、「彼ら」「こちら側」といった線引きの意味は消失し、ぼくの思考は宙ぶらりんにさせられる。だからこの映画を観たあとに、言えるのはこのくらいのことなのだ――ぼくもかれらもひとしく、「精神」を抱えた人間である。なんびともそれを否定することはできない。