こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「不仲」だからこその輝き/Trident 1st Solo Live レポート

 3月22日、舞浜アンフィシアターで行われたTridentのファーストソロライブ「Blue Snow」を観てきました。

 TridentというのはTVアニメ『蒼き鋼のアルペジオ アルス・ノヴァ』に出演する、渕上舞さん・沼倉愛美さん・山村響さんという声優三人によるユニットで、いわゆる「キャラクターソング」を歌っている人たちです。このへんで試聴ができるのでぜひ。


 二時間半ほどのライブでしたが、体感時間はあっというま。歌声に魅了され、三人やゲストたちのMCに大笑いし、感動的な場面には涙して……と、観ている側の感情がいい意味でかき乱される、よいライブでした。
 『蒼き鋼のアルペジオ』は、TVシリーズ終了後、今年2月に劇場版第一作目(TVシリーズの再編集+新作パートという構成)が公開され、10月には第二作の公開が控えています。Tridentもファーストアルバムを昨年リリースし、映画公開にあわせてミニアルバムを発売したところ。アニメもユニットも、ある程度の長丁場を経て一つの区切りを迎えつつ、まだこれからの展開も控えている、という特異な時期にあります。ライブ中にTridentのメンバーも「現時点での総決算」という言葉をたびたび口にしていました。「いいもの観たなあ」という満足感もあるし、「もっと、何度でも観たい」という飢餓感もあるし、と一粒で二度おいしい楽しさがあったのは、そんなスペシャルな時期だったせいかもしれません。
 ぼく個人は、映画一作目を前知識ゼロでぼんやり仕事帰りに観に行ったことを機に、ここ二ヶ月ほどで一気にはまったにわかファンです。そんな立場なのに、こんな素晴らしいタイミングのライブが観られて本当に幸せだったと思います。

 さて、2月の初旬、映画を観終わって「Tridentってユニットの曲、なかなかいいなあ」と思ったぼくがネット上で彼女たちのことを調べ始めて最初に目にした話題は、「Trident不仲説」でした。噂の発端には諸説あるようですが、特にその活動の初期に、彼女らは仲が悪い、という噂がネット上で飛び交っていたとのこと。
 これを受けて、Tridentの人たちは自身の不仲説、そして自分たちの関係についてよく語ります。今回のライブパンフレットでも、ユニットのセンターポジションである渕上舞さんはこんなふうに述懐しています。

すべてのことに頑張らなきゃ、しっかりしなきゃという思いが強くて、それはラジオもお芝居もそうだったんです。良いことでもあると思うんですが、私はそこで変に固くなったり面白みがなくなったりと、遊べない人間だったんです。

 これ、個人的にはすっげー共感してしまいます。楽しくやろうとかうまくやろうと思えば思うほど、考えすぎて閉じてしまう。
 あくまでぼくの印象ですが、渕上さんに限らず、沼倉愛美さん、山村響さんのお二人も、そんな生真面目さがあるように思います。そうした真面目さが固さになり、活動初期の「不仲」な雰囲気を生み出してしまったのかもしれません。

 今ではもうそんな固さは克服された――というのがTrident自身の、また世間一般の認識だと思うのですが、これまた個人的には、そこまで単純に彼女らを見ることはできないというのが本音です。ラジオやツイッターなど、様々なメディアを通して伝わってくるTridentという人たちの姿には、どうにもある種の緊張感がある。
 確かに三人の距離は接近してはいる。いるのですが、全面的に打ち解けた「仲良し」か、というとそうではなく思える。
 例えば、『ラブライブ!』発の声優ユニットであるμ'sのあいだにある、一緒になってわちゃわちゃしている、相手を信用してお腹を丸出しにしている犬のような空気はない。
 むしろ、三人それぞれが、それぞれの場所ですっくと立っているイメージなのです。そして、それぞれの間に、互いを強く意識する視線が飛び交っている雰囲気。

 今回のライブでも、その雰囲気は感じました*1
 オープニングの『ブルー・フィールド』『Sentimental Blue』、そして『Purest Blue』と立て続けに盛り上がるTrident三人の曲はもちろん素晴らしかった。素晴らしいんだけど、でもお互いを見合っている感じがする。特にMCはその印象が顕著で、『アイドルマスター』の響役としてこうしたステージの場数を大量に踏んでいるであろう沼倉さんが数歩先をリードし、あとを控えめに渕上さん、山村さんがついていくといったふう。

でも、三人の能力の差がそうさせるかっていうとそれだけでもないような気がしました。というのも、ソロ曲を歌わせると三者三様にすげーのですね。ソロパートは沼倉さんが最初で、彼女がロック調の激しい楽曲でがんがん会場を盛り上げる勇姿を観ちゃうと「このあとで歌う二人は辛いな……」と思うのだけど、続く山村さんも渕上さんも、それぞれ違う種類の歌の上手さ、パフォーマンスの魅力がある。圧倒されました。彼らはそれぞれ、独りでも大きな舞台でがっつり立てる人なのだとわかる。

 力強いソロを観てからまたTrident三人のパートに戻ると、先程までの三人の間に感じていた距離感がちょっと違うものに見え始めました。その距離は、上下や好き嫌い、仲の良さ悪さといったことからくるものではなく、互いの力を知り、自分の力を知っているからこそ、適度な距離を保つためにとっている距離なのではないか。ともすればいまだ「不仲」と捉えられかねないその距離が、むしろ互いを想い合うことで生じている距離なのではないか、というふうに思えてきたのです。

 ライブパンフレットのインタビューで、沼倉さんがこんなことを仰っています。

「私は最初、自分だけテンポが違うと思っていたんですよ。誰のせいということではなく、噛み合っていない。これはどうしたものかと。舞さんは自分にとって不思議なテンポの人で、捉えどころがないというイメージがあったんです(笑)
(中略)
頭でどうしようと考えていたうちはダメで「今日も自分的に何かできてない」という感覚があったんです。そのうち、ドキュメントとかを撮っていたあたりかな?「舞さんは舞さんだ」と分かった瞬間があって。そこからテンポがどうとか、ポジショニングがどうとかを考えなくなって楽しくなったし、普通の会話も弾むようになりました」

 これ、単純に「仲良くなった」って話じゃないですよね。
 具体的になにかがきっかけになったのか、それとも微細なものの蓄積のうえでそんな関係が成り立ったのか……はっきりとはわかりませんが、たぶん互いのあいだの感情に変化はない(より「好きになった」とかそういう接近の仕方ではない)。沼倉さんが自分と渕上さんの「テンポ」の差異を把握して、自分のなかに落とし込めた――すなわち、相手を「理解」できた、ということじゃないでしょうか。
 ぼくはこの違いがすごく重要だと思っています。

 なんでTridentにとって「仲良し」じゃなくて「理解」ってキーワードが重要なのかっていうと、それはもちろん、『蒼き鋼のアルペジオ』の作品テーマに結びついているからです。
 Tridentの三人が演じているのは、人類と敵対する謎の知性体「霧」が、人類と戦うにあたってその戦術を理解するために生み出した「メンタルモデル」*2という存在です。人類と敵対し、異なる価値観にもとづいて活動しているメンタルモデルたちは、人類と様々なかたちで接触するに伴い、相手の価値観を理解していく。一方の人類もまた同様に、霧とのコミュニケーションを積み上げていく。主人公・群像は、そんな変化をきたしつつある霧と人類の共存の道を探っていきます。
 物語としてはまだ霧と人類の共存の決着点は見いだせておらず、両者がコミュニケートに成功するのは群像周辺のわずかなケースにおいてのみです。基本的には霧と人類は他者であって、「仲良し」ではない(主人公群像とヒロイン・イオナですら)。人類は人類で一枚岩ではない。内部で反目したりもする。主人公は、霧の攻勢によって喪われた者への憧憬――絶対不可能な相手とのコミュニケーションへの渇望――に縛られている。
 でも、道のりが厳しいからこそ、ごくまれにコミュニケーションに成功した者たちのエピソードが胸に迫る。

 他者とわかりあうことの難しさ、あるいは楽しさ、切なさ。
 そのことを念頭において今一度Tridentのライブを振り返るとき、その情景は、まぶしい輝きに満ちたものにみえてきます。
 今回のライブを観た人全員がハイライトの一つに挙げるであろう、『Innocent Blue』での渕上さんの涙。彼女の両肩にそえられた沼倉さんと山村さんの手は、支えではなく、繋がりの証だったようにぼくには思えます。抱き合うでもなく手を握るでもなく、視線の交差もなしに、ただ指先が肩に触れるだけ。それでも、困難を越えて繋がった人と人は、互いのわずかな感触だけで、心をゆさぶられてしまう*3
 アニメ最終話のクライマックスも思い出されます。そう、イオナと群像たちが危機的状況で最後に選択するのは、攻撃でも逃避でもなく、「敵との物理接触による有線通信」だったのでした。
 ステージのうえの三人がかたちづくったあの一瞬には、Tridentの、『蒼き鋼のアルペジオ』のエッセンスが極めて美しい姿で凝縮されていたのです。

 ライブを終えて一週間、本稿を書くためにTridentの音楽をずっと聴いています。聴けば聴くほど、歌詞や音楽のはしばしに、今のTridentの姿やアニメ本編と繋がるものが発見されます。
 ここではTrident自身ではなく、同じく作品内キャラクターのユニットであるBlue Steels(興津和幸、松本忍、宮下栄治)による『蒼き空の下で』の歌詞を引いておきましょう。

一緒に生きると決めていない
それぞれ考え方も違う
ただ進む道が
運命みたいに寄り添っていたんだ

 今回のライブのオープニングで上映された、これまでの活動の様子などから構成された映像のなかに「必然ではなかったかもしれない」という言葉がありました。
 冷ややかな言い方をしてしまえば、アニメ作品の出演者が組む(組まされる)ユニットに、必然なんてものはありません。この広い世の中で出会う人同士に運命なんてものはない。だからみんな「不仲」からスタートする。

 それでも――それゆえに――Tridentは輝く。
 人と人が共に生きることの困難と喜びを内包したこの輝きに、ぼくは今回のライブで気付かされました。これからも、その輝き(と変化)を再見すべく、Tridentを追いかけていきたいと思います。すばらしいライブでした。

*2015/09/21追記:2ndライブ開催記念として、Trident楽曲を含む『蒼き鋼のアルペジオ』キャラソンを語りまくった記事を書きました。Tridentの魅力はもちろん、そもそもなぜ自分が『蒼き鋼のアルペジオ』のキャラソンを愛おしいと思うのか、まで語っています。ひどく長いですけど、あわせてお読みいただけるとすごく嬉しいです。「映画公開&Tridentライブ記念『蒼き鋼のアルペジオ』キャラソン総まくりレビュー」http://d.hatena.ne.jp/tegi/20150920/1442761646

*1:もちろん、これはぼく個人の印象です。というか言うまでもなく、この文章すべてはぼくの主観による印象にもとづいています。たぶん、古参ファンの人たちや、声優シーンに詳しい人たちには、また違った見え方がしているのではないかなと思います。不仲というキーワードを使った語りはなかなかむずかしいものがありますけど、ぼくはTridentのそういう側面を語る文章が読みたいなと思ったのでこれを書いていますし、意見を異にするほかの方の声もぜひ聞いてみたいと思っています。反応があるといいなあ。

*2:少女の格好をした人工知能だと思ってください。

*3:それにしてもこの振付を提案したという沼倉愛美という人、まさしく恐るべき才能です。渕上さんや山村さんが、ときおり彼女にたいして尊敬し頼ってしまうような姿勢になってしまうのもやむなしと思います。Tridentのライブの少し前に放送されたネットラジオで、『アイドルマスター』春香役の中村繪里子さんが沼倉さんの演じる響に対する想いを語っていまして、その発言にも沼倉さんの才能に対する畏怖と羨望が含まれていたように思います。そして、かように共演者も観客も心底感動させる超人沼倉愛美だからこそ、アンコール後に「(不仲って)最初に言ったやつ、誰だよー!」と叫んでいたときのような、素の姿にぐっとくるわけです。