こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

いつだって飛べるよ『ラブライブ! School Idol Movie』

 『ラブライブ! School Idol Movie』を観ました。
 「こんな映画だったらいいなあ」と思っていた期待を、ぼくの想像しなかったやりかたですべて叶えてくれたという印象。
 具体的なことを話すのはまだ早いタイミングなので、物語とアイドルと理想の話、みたいな、抽象的なことを書いておきます。
 ネタバレはしません。

 『ラブライブ!』はもともと、いま・ぼくたちがいる現実社会とは少し異なる世界の物語ではありました。そもそも「スクールアイドル」なんて存在、リスキーすぎて現代社会じゃあそこまで一般化できないでしょう。
 今回の映画、特にクライマックスのイベントについては、現実的にはかなり実現の難しいものに思えます。そのあたりのアンリアルさを指摘して、批判する人もいるかもしれない。
 でも、本当に無理かとつきつめて考えれば、あのイベントは、そして「スクールアイドル」という存在は、ぼくたちの現実においても成立しうるのです。可能性がゼロってわけじゃない。
 ただ、善意がいまの世界よりちょっとでも多ければ。

「世界がもうちょっとよい世界なら」
「自分がもうちょっといい人間なら」
 ぼくたち人間は日々のそういう思いから、物語や、宗教や、音楽を作ってきました。
 いま・ここの現実から少し離れて、現実に似た、でも現実ではない何かを創りだした。自分に似た、でも自分ではない誰かを。
 アイドルはよく宗教にたとえられますけど、神を想うのも、アイドルを想うのも、もとは同じで、自分によく似た、でも自分ではない理想を見たい、という欲望から生まれ出た営みなんじゃないかと思います。

 『ラブライブ!』の見せてくれるあの世界について考えていると、そんなふうに、アイドルや文化が生まれてきた根っこについて考えてしまう。

 そして、物語や音楽のなかに込めた理想をぼくたちが覗きこむとき、そこに見えてしまうのは、やはり自分自身なのです。なにせ自分たちで作っているので。自分で描いた理想を観て、到達できなくて苦しくて、でもやっぱりそこへ向かって飛ぶ。飛ぼうとする。
 日々フィクションに耽溺するぼくの人生もまた、そういうことの繰り返しである気がする。

 そういうことを考えていると、本作のある展開が、μ'sの映画を観ている自分の姿と重なるわけです。詳しくは言えないけど、まさかあの映画*1みたいな話を今年また観ることになるとは。

 たぶん、評価が大きく分かれる部分だと想うのですが、ぼくはあの展開が大好きです。本当に心から愛している。人が理想を追いかけてゆくことを、フィクションの土台に置き換えて描いたとき、もっともぶちのめされるのはああいう展開なのかもしれない(具体的なことを言ってなくて本当にわかりにくいですねごめんなさい)。

 理想を追いかけていくμ'sたち。
 μ'sを観る観客のぼく。

 互いを、自分自身を一歩前へ押し出す彼女らを観て、ぼくもまた一歩前へ進もうと思える。
 ただそういうメッセージが言葉として発せられるだけではなく、作品の構造、登場人物の行動、歌や踊り、そして映画表現として、すべての面でそんな力を発している、完全無欠の『ラブライブ!』の映画でした。ほんとうにすばらしい映画だった。

 かわいい二次元のキャラクターが歌って踊る映画を指さして、「これはぼくの物語だ」と言うのは、正直きもいと思います。でも、そう言わざるを得ないのです。ちょっと不遜すぎるので、少しぼかして言っておきます。
 この映画を「ぼくの物語だ」と胸を張って言えるように、生きていきたいと思います。
 はは、恥ずかしい。

2015/06/14追記:ネタバレありの文章を書きました。あわせて読んでいただけるととても嬉しいです。→
永遠に終わらないジャンプ/永遠に終わらない映画『ラブライブ! School Idol Movie』
http://d.hatena.ne.jp/tegi/20150614

*関心あるけどテレビシリーズ観たこと無いや、という人はこのへんでチェックするといいかもしれません。

*1:ネタバレあり文章のほうでタイトル言及しました。