今回取り上げるμ'sのラストライブ、そしてその直後に行われたTridentのラストライブから、すでに一ヶ月が経ちました。その間、仕事がすごく忙しいうえに風邪で数日寝こんだりしていて、もう遠い昔のような感覚がします。
それでも、あの二つのライブについては書いておかねばならないことがたくさんあります。
今日はまず、μ'sについて。たいへん長い上に抽象的で個人的なことばかり書きました。
4月2日、TOHOシネマズ府中・スペシャルビューイング*1にて鑑賞しました。
昨年のライブ時も府中のライブビューイングに参加しましたが、その時より、やや年齢層が高めで20代中心といった印象。あとカップルが多かった気もする。ライブ当日が平日でしたから、土曜に開催されたスペシャルビューイングは社会人が多かったのでしょう。
そのせいか、コールはややおとなしめ。いや、それでも、ほかのスクリーンで映画を観ている観客に迷惑がかかっていないか心配になる熱狂ぶりではありましたが。
ライブとしては、とてもコンパクトだったという印象があります。約5時間に及ぶものであり、途中で何度も幕間映像(主にキャストのインタビュー)を挟む構成でありながら、全体が緊密で「この構成でしかありえない」と思わせるシンプルな印象がありました。
おおむねμ'sの歴史に沿った曲順であること、かつ「最後のライブならばこの曲をやっておかなくてはいけない」という曲を着実に演奏していく選曲が、そうした印象を産んだのだと思います。
だから、次にどんな演出がくるのか、全体の構成がどういったものか、ある程度予測できてしまうわけです。ユニットに分かれて、盛り上がって、それで終わりが見えてきて…といったふうに。でも、それは退屈には繋がらない。なぜなら、あらかじめわかってしまう構成が、μ'sの終わりを示すひとつのメッセージになっているから*2。μ'sの側から「これが終わりだよ」ときちんと差し出してくれているのですから、ファンたる自分はそれを胸を張って受け取らなければならない。μ'sが差し出す一つ一つの曲に、ファンは、そうだよね、と頷きを返す。そんな雰囲気のあるライブだったように思います。
でも、「終わりを受け取らなければならないんだ」と頭でわかったからといって、心がそれに100%従えるわけではありませんでした。
終盤で『Sunny Day Song』の衣装を着たμ'sが登場したとき、ぼくは、その日いちばんの辛さ、悲しみ、そして虚無感に襲われました。μ'sのだれも口に出していないけれど、もうはっきりとそこには「これで終わりだよ」というメッセージがあったから。
崩れそうになる膝に力を込め、嗚咽が漏れそうな口をおさえ、キンブレを振り歓声をあげたときの苦しさは、とうぶん忘れられそうにありません。
なぜμ'sの終わりが辛いのか。
二度と彼女たちのパフォーマンスが観られなくなるから。それが前提ではあるものの、加えてぼくには、「置いていかないでくれ」という、自分勝手な気持ちがあったのです。
この二年くらい、ぼくはμ'sに強く惹かれて日々を過ごしたのだけれども、その根底にあるのは、「μ'sになりたい」という願望でした。……自分で書いていても超きもいしドン引きしているのですが、真実なので我慢して書きます。我慢して読んでほしいけど無理はしなくていいです。
自分が高校生のころに、μ'sのように輝く青春を生きていたかった、という、過去の話ではありません。いま、たったいま、会社員として働いているいまの自分が、μ'sのようになりたい。そういう、現在の問題なのです。愚かしく、狂人のように思われるだろうけれども、その気持ちは否定しようがない。
ぼくはμ'sになりたい。
仲間を牽引していく強さが欲しい。お互いに委ねあえる信頼が欲しい。逆境を乗り越える能力が欲しい。
ふつうの働く人が、スティーブ・ジョブズの立志伝やGoogleの企業風土に憧れる感情と、さほど差はないのだと思います。
μ'sのように生きたい。ともに働く人たちにも、μ'sのように楽しく生きてほしい。そういう場を作り出せる人間になりたい、けれど、できない。
『ラブライブ!』という物語のなかできらめくμ'sの輝きを見るたび、その輝きに欠けた自分の不甲斐なさがおもわれて、一層やるせなさが高まるのです。
μ'sの、そして『ラブライブ!』の恐ろしいところは、その輝きがフィクション内に留まらず、現実での成功をも伴っていたことです。オタク史、いや日本のアイドル史に残りうる、独特かつ正統的な成功を収めたコンテンツだと言ってさしつかえないでしょう。それは、作り手たちの「仕事」の成果でもある。μ'sのすばらしい活躍の舞台裏では、多くのスタッフたちが、すばらしい仕事をしていたはずです。だから、「あれは嘘の物語だから」なんて言い訳が通じない。実際にゼロから初めて、ドームまでの道を走り切った人たちがいるのだから。
こうして、フィクションの輝きと、現実の輝きが、二つ揃ってぼくの目を射る。もちろんそれに励まされることもあるけれど、4月のあの日のぼくはその輝きを受け止める気力も覚悟もなかった。打ちのめされてばかりでした。
そしてμ'sは、そんな不甲斐ないままの自分を置いて去っていってしまう。
『Sunny Day Song』の衣装を見たとき、あんなにも辛かったのは、そうした気持ちが最も大きくなっていたからなのでしょう。
ライブの最後の曲は『僕たちはひとつの光』でした。
「今が最高」というフレーズを、μ'sも、観客も、ぼくも、繰り返し歌いました。
前述のとおり、観ているぼくは「最高」じゃなかった。それでも「今が最高」だと歌っていた。
そこには現実逃避と欺瞞がある。
でも、そういうことをずっと考えながら観ていたライブにおいて、「今が最高」という言葉を発していた瞬間、もっとも自分の現在とかけ離れた言葉を大声で発したあの瞬間に、ぼくは確かに解放されたように感じたのでした。
あの瞬間、μ'sと観客と演出と、これまでのμ'sの歴史と、μ'sをめぐるすべてのものごとが噛み合って、真に「最高」なものが現れていた。ぼくは最高じゃないし、これからも最高になれるかどうかわからない。けれども今確かに目の前に最高な瞬間が現れていて、ぼくもその一端を、ほんのほんのごく一部だけれども、担っている。
世の中に「最高」は存在しうるし、自分がその一部になることもできる。ならば、いつか自分が「最高」になることも、決して不可能ではないのではないか? ならば、そのために走っていくことに意味はあるはずだ。
――そのように、自分が信じ直すに足るだけの「最高」なものがあの瞬間にはあった。だからぼくはほっとしたのだと思う。
翌日、Tridentのライブに行く途中、ぼくはニコライ堂*3と神田明神に立ち寄りました。とくに神田明神には、ラブライバーの姿が多く見られました。みんな和やかで穏やかな笑顔だった。
ニコライ堂で参拝を終えて、敷地の外側から建物の写真を撮っていたところ、初老の女性に話しかけられました。ぼくが観光で通りかかったのだと勘違いして、堂内の参詣をすすめようとしてくれたらしい。絢瀬絵里のことを身近に感じたくて――とまでは言わなかったものの、ニコライ堂と正教徒に関心があって立ち寄り、すでに堂内も見学した旨を明かすと、彼女も親近感をもってくれたらしく話が弾み、小一時間ほどの長い立ち話をしました。
ぼくは特定の宗教を信じる人間ではないけれども、ニコライ堂にも神田明神にも、あるいは他の寺社仏閣にもなにかよきものを感じるのだ、という話をすると、いわく、「人の祈りが積み重なった場所には、共通のなにかが生じるのよ。それは正教もプロテスタントも、仏教でも同じだわ」。
内心ぼくは、「それは二次元でもアイドルでも同じだ」と思いました。神田明神はもともと平将門を祀った社だけれども、ラブライバーはそこでμ'sを想う。強引で勝手な上書きではあるが、そこに積み重なっていくのは確かにある種の「祈り」です。もしかしたら、その祈りは、普遍のなにかを生み出しているのかもしれない。
彼女はまた、自分が正教徒になろうと決めたときのことも話してくれました。多分に個人的なエピソードだったので詳述は控えますが、いわば彼女はそこで、正教の信仰対象たるイイスス・ハリストスという理想の存在の一端に触れて解放されたのでした。
その話を聞いていたときには全く気づかなかったのですが、いま振り返ると、彼女の体験はそのままぼくがμ'sのライブで感じたことに重なると言えそうです。
理想を叶えることは難しい。だから、理想を宗教やアイドルといったかたちでこの世の中に現出させる。理想の者それ自身になることはできないけれども、その一端に触れることで人は癒され、励まされる。
ハリストスもμ'sも、人が作り出した理想という意味では同じです。正教徒にもラブライバーにも、あんなものと一緒にするなと怒られるかもしれませんが、時代も文化もまったくことなる人の営みが、共通のよきことを生み出していることに、ぼくは穏やかな感動を覚えたのでした。
正教徒の女性は、近々、東欧をめぐる長い旅行に出るのだ、と話してくれました。宗教と政治によって数多くの血が流されてきた土地です。荒廃しているところもあるが、各地の教会に宿を借りながら移動し、復活祭はコソボで迎える、という。
悲惨な争いが行われた土地で、それでも神のことを想う。よき世の到来を願う。
彼女いわく、人は不完全だから、人間の行いを見ていると、信仰を失いそうになってしまう。だから、神のことを考え続けるのが大事なのよ、と。
ぼくも、μ'sのことを考え続けようと思います。