こづかい三万円の日々

40代の男がアニメ、映画、音楽などについて書いています。Twitter:@tegit

「繰り返す人」渡辺曜のこと/『ラブライブ!サンシャイン!!』とAqoursを考える・その7

繰り返しに満ちた物語

 アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』には、繰り返しの要素がたくさん盛り込まれています。

 例えば、渡辺曜は「ヨーソロー」という掛け声を決まり文句として何度も言います。
 三年生たちの幼いころの「ハグ」の記憶は、それぞれの視点から繰り返し思い出される。彼女たちは、その「ハグ」を再び行おうとしてもがきます。小原鞠莉は夜の堤防で一度失敗する。そして、部室で今度は松浦果南によってついに再現される。
 高海千歌たちがAqoursとして辿るのはかつて三年生たち=旧Aqoursが経験したこと(学校を救うための結成、幼馴染二人が外から来た異端者を誘う、東京での挫折)の繰り返しです。そしてそもそも、もとをたどればAqours=『ラブライブ!サンシャイン!!』は、μ's=『ラブライブ!』の繰り返しに他ならない。
 物語の企画自体が人気作の続編=繰り返しとして出発している以上、意識的にせよ無意識にせよ、繰り返しのモチーフが数多く作品のなかに含まれるのは宿命なのかもしれません。
 柳の下のどじょう、模倣、拡大再生産。そういう批判を乗り越えて、繰り返しでありながらいかに差異を生じさせるか。あるいは、あえて同じ道を歩むか。そうした試行錯誤が作品の根幹にあるのが透けて見えるし、登場人物の物語や、ちょっとしたしぐさにすら、その影響は及んでいるように思える。


 アニメ11話で描かれる曜の葛藤の物語は、セカンドシングル『恋になりたいアクアリウム』PVにおける物語の繰り返しです。
 曜が、仲良しのはずの千歌とのあいだに生じてしまった距離を感じて、自分から内にこもる。紆余曲折を経て、二人は再び仲良しに戻る。大まかに言って、そういう物語が繰り返し語られている。
 繰り返されるのは、物語の大枠だけではありません。
 PVの冒頭、まぶしい太陽が照らすなか、曜は自転車を漕いで海沿いの道を走ってきます。方角としては、曜の自宅方面から、千歌の自宅の方へと向かっている。
 アニメ11話では、この道を千歌が逆に辿りました。夜、ダンスの振付を考えるために曜の自宅へと向かう彼女の姿自体は描かれませんが。
 物語のクライマックスで、PVでは千歌が曜に抱きつきます。曜は、うちっちーのきぐるみのなかで苦笑と照れ笑いを浮かべます。アニメでは、曜が千歌に抱きつく。汗だくの千歌が苦笑と照れ笑いを浮かべます*1
 PVの最後に写るのは、部室でスノードームを眺める曜の姿です。千歌が呼ぶ声がして、彼女はどこかへ去っていく。
 アニメ12話の前半、部室で地区予選進出を喜び合うAqoursたちのなかで、曜はPVと同じようにスノードームを眺めています。ここで、PVの曜とアニメの曜はきれいに重なる。同じこと、あるいは似つつも少し違うことを繰り返して、曜は同じ場所に戻る。


 この、アニメ12話でスノードームを眺めていた曜は、ややとらえどころのない表情をしています。心ここにあらず、といった印象。その場にいる他のメンバーとは別の場所にいたような。
 だからわたしはついこんな妄想をしてしまいます。本当にこの瞬間、比喩でなしに、PVの曜とアニメの曜が合流して、ふたりの曜が集約されたのではないか、と。

 

何度も飛び込む人

 アニメの放送時、わたしは「渡辺さんはそれでいいんですか」と題した文章*2を書きました。11話単体で観たとき、曜の葛藤が本当に晴れたのか、わたしには納得がいかなかった。千歌と曜の心は本当に繋がったのか。『想いよひとつになれ』の歌詞がいう「何かをつかむとき/何かをあきらめない」という理想を、曜はかなえられていないのではないか。
 いま改めて11話のことを考えるとき、放送当時に感じられなかったこともあれば、当時と同様の気持ちになる部分もある。曜本人がどう思うかはともかく、わたしはまだ心の底から「これでよい」とは言えない。
 でもその後、笑顔で千歌と接する12話や13話の曜を見るとき、あるいはさかのぼって1話から13話までの曜の変化を見るとき、11話単体では感じられない納得を感じもする。
 そして、繰り返される曜と千歌の物語の原型である、『恋になりたいアクアリウム』のPVを観ると、その納得は一層強くなる。


 曜は高飛び込みの選手です。飛込競技は、飛込台と水面という定められた二点のあいだをいかに飛ぶか、ということを競うものです。そのことは、『ラブライブ!サンシャイン!!』という物語の、そして曜の葛藤が描かれたエピソードの、「繰り返し」という面を強く意識させます。


 高飛び込みというのは、高いところから飛び込むときの恐怖をいかに克服して演技に集中するか、がまず問われるらしいんですね。曜は全日本クラスの選手なのですから、きっともう飛び込むことの恐怖なんか感じたことがなかったんでしょう。
 それはおそらく他人との関係においても同様で、アニメ前半での、千歌の無茶に付き合い、クラスの人々と友好に接して学校内の事情を把握し、扱いづらそうな津島善子ヨハネともフレンドリーに接し…と縦横無尽な活躍の印象にも繋がります。
 けれども、PVの、そして11話の曜というのは、高飛び込みと同じかあるいはもっと昔からずっと接していたはずの千歌に相対することに臆病になってしまう。
 そんな曜が、怖がりながら、千歌のもとへと飛び込んでいく。その「高飛び込み」を最初に描いたのがPVであり、そしてふたたび繰り返し描いたのが11話だった。
 そのように個々のドラマ*3をひとつの「飛び込み」と見立てて、本来はパラレルに存在する別個の曜の物語を、一人の曜が繰り返し繰り返し行なっていると妄想してみる。
 その時、俯瞰とクローズアップの両方の視点で曜の姿を捉えられたときに、わたしの11話放送当時のわだかまりはほどけたように思えるのです。

 

繰り返しの可能性がくれるもの

 曜による繰り返しのなかでも印象的なのは、「やめる?」という千歌への問いかけです。

 その挑発じみた言葉は、やがて千歌に届かなくなり、曜は口にしなくなる。ところが13話で、千歌の母親という実に意外な人物によってその言葉はまた繰り返されました。そのことは、過去に、母だけが知る千歌の挫折があった可能性を示している。その詳細は不明ですが、ともかく、曜の知ることがない場所で、曜以外の人間によって「やめる?」という言葉が繰り返され、かつ千歌によって否定されたのは、どこか曜の「繰り返し」からの解放をも感じさせます。
 だからこれからはもう、曜の千歌に対する葛藤は描かれないかもしれない。千歌と曜は離れず一緒にいられるかもしれない。


 でもぜいたくを言えば、まだまだ何度でも、曜の「飛び込み」を見たいという気もするのです。
 それは千歌に対してでなくてもいい。千歌と関係を結び直した曜が、今度は、Aqoursの他のメンバーと、また異なる関係を築きあげてもいい。特に、エンディングでその関係性が強く示唆された津島善子ヨハネとのあいだには、同じ方面に自宅があること、そして同学年の千歌・梨子、または花丸・ルビィという強い結びつきをもった二人を眺めて過ごしているという共通点があるのですから、もっとドラマがあったっていい。

 11話の物語が当初受け取りづらかったのは、曜があまりに物分りがよすぎる、ということにも一因があったのだと思います。たぶんわたしは、曜がもっと自分勝手になるところも観たかった。彼女はいちおう感情を吐露しはするのだけれども、それでもまだ十分でない気がしてならなかった。いや、そんなの、こっちの勝手ではあるんですけど。

 前述の、曜は千歌との葛藤の物語を何度も繰り返している、というニーチェの「永劫回帰」じみた妄想を抱くことは、彼女がいまの11話とはまた異なる感情を露わにしている情景の可能性を信じられるようになるから、わたしの気持ちは楽になったのだと思う。
 黒澤ダイヤについて書いたこと*4と同様、こうしたメタ的で飛び道具的な読みを際限なく許せば、作品がその作品である意味は薄れてしまいます。わたしは11話を否定したいわけでもないし、今はまだ同人誌をあさって違う物語をたくさん摂取したいともあまり思えない。
 でもここに書いてきたような妄想と、曜がこれから行う新たな「飛び込み」への期待を抱くくらいは、『ラブライブ!サンシャイン!!』という作品は許してくれているように思える。

 わたしは11話放送まで、それほど曜のことを考えていませんでした。むしろ他のキャラクターに比べると、ストレートすぎて立体感が感じられず、あっけらかんとしすぎじゃね?と思っていた。たぶん、彼女の人気の多くは、そのように、尖ったところがなく、自分の感情や理想を投影してもキャラが破綻しない、素体のシンプルさに拠っているのだろうと思います。そういう彼女に、わたしはあまり関心が持てなかった。

 けれどもこうして、彼女のキャラクター同様に、あっけらかんと11話が終わってしまったことで、逆に彼女のことをずっと考え続けざるを得なくなっている。と同時に、「繰り返し」を行うからこそ、そんなあっけらかんとした曜に、独特の陰影が生じているようにも思える。
 …なんというか、まんまと作り手の思惑にしてやられている、という感じもしますね。
 曜がこれからどんな活躍をしていくにせよ、わたしはまたたびたび血相を変えて「渡辺さんはそれでいいんですか!」とか訊くに違いありません。そのような種類のキャラの「伸びしろ」というのも、アリなのかなあ、といまは思っています。

 

 

 


【試聴動画】Aqours 2ndシングル「恋になりたいAQUARIUM」

 

  本当はニーチェがらみで、このへんの作品についても語りたかったんですけども。

 『オール・ユー・ニード・イズ・キル』の評で宇多丸さんが「映画のなかでなにかが繰り返されるということはただそれだけで快楽を生んでしまう」というようなことを言っていて、それは曜の「ヨーソロー」であったり、葛藤の物語の繰り返しであったりによるある種の「楽しさ」にも通じるな、と思っています。

 

存在の耐えられない軽さ (集英社文庫)

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*1:なお、ここで背中を向けて近づく曜は、アニメ1話、千歌と背中合わせの状態で、スクールアイドル部に加入することを告げる曜の姿の繰り返しでもあります。

*2:http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/09/17/105525

*3:ここではPVとアニメ本編だけを取り上げましたが、彼女たちを演じる斎藤朱夏伊波杏樹の言動もまた、曜にまつわる「繰り返し」のひとつといっていいでしょう。「浦の星女学院RADIO」のごく初期の放送で、伊波さんが斎藤さんを「いいやつ!」と評していた場面、すごく素敵だったなあ…。

*4:「嘘をつく人 黒澤ダイヤのこと」http://tegi.hatenablog.com/entry/2016/10/30/010357